大森鋳造所の歩み画像

大森鋳造所の歩み

牛の尻尾になるより 鼠の頭になれ

生まれは今の工場近くにある農家の次男坊。

この仕事を始めるきっかけになったのは、今から約60年前、東京の足立区西新井で工場を経営している親戚が盆正月に帰省した時によく言われていたこの言葉が耳に残っていたからだった。

「大きな牛の尻尾になるより鼠の頭になれ」

しょっちゅう聞かされていたもんでね。

大きな組織の一員になるより、小さくても会社のトップにたちなさいという意味ですよね。

当時はみんな集団就職で、50〜60年まえはみんなそうだったんですよ。
まだまだ進学してみんなと騒いだり遊んだりしていたかったけど、
3分の1とか4分の1とかしか高等学校に進学しないような時代で。
だから中学をでたら住み込みで丁稚奉公(でっちぼうこう)のようなかたちで働きにでるのが普通だったんですね。

それでその親戚の方がウチへ来いと。来ればなんとかしてやると。
そう言ってもらっていたので、先ほどの言葉をしょっちゅう聞かされて育ったこともあり中学をでてすぐ、東京で働き始めました。



今年50期目を迎える弊社。 社長大森佑治が昭和28年4月に上京。足立区西新井での修行後 昭和36年、栃木に戻り28歳で独立。 昭和39年2月有限会社大森鋳造所設立をするまでの歩みを 自ら語ります。

東京で7〜8年働かせてもらいある程度仕事が身についた
ところで帰郷そして独立。実家の敷地の一角で工場を建て
今の仕事を始めました。

それから2〜3年たち会社組織とし有限会社大森鋳造所を設立。
実家の敷地では手狭になり、現在の場所に新たに工場を建て、現在まで2回の
立替を経て今に至ります。

大森鋳造所_外観
創業当時の秘話

実家の農家には電話がなかったから。隣の隣に製材所がありまして、その事務所の電話をお借りしてたんです。お得意さんにはそちらに連絡もらって。
それを電話があったら実家に教えてもらって、そしたらおふくろが工場へ向かって旗を降るんです。
それが東京からの電話の合図。
それが通信手段だったの(笑)

今じゃ考えられないですよ。
実家のおふくろが旗振ってくれるんだからね。

それからだんだん電話がついて、運送屋さんもあって、知らず知らずに田舎でこういう仕事やっているというのが世間に知られていき、東京からもお客さんが訪ねてくれるようになったんですよ。
徐々に徐々に仕事がいただけるようになったんです。

時代に恵まれたというのもありましたね。
そのころはちょうど東京オリンピック、万博とあったからね。

この道60年。生涯現役。

 

今でも現場に立ちますよ。

ちょっと手がね。腱鞘炎で自由に動かなくなってしまって。
今はだいぶ良くなってはきましたが、
今まで約60年間やってきた証というかね。
やっぱり手の仕事だからね。

大森 佑治_作業風景
新たな試み。そして次世代へ

専務のアイデアが始まりですが最近では熊よけの鈴もよく出ています。

最初の頃、経済新聞に掲載してもらったこともあるんですよ。
紹介してくれた人が、掲載日当日

「今日だけでもたくさん問い合わせがきますよ」

なんて言うんですよ。ホントかな?と思っていたら、本当に反響がすごくてね。100件くらいは問い合わせがきましたね。個人の方から。

ありがたいですよね。

そのあともFAXで注文がきたり、直接訪ねてきていただいたりするんですよ。

FAXや電話で注文いただいた方にはこちらから送らせてもらってるんですが、
始める前は心配していたんですよ。
品物だけ受け取ったらあと逃げちゃったり、払わなかったりする人がいないとも限らないですよね。

そんなことが多少あると思ったんですよ。
そしたら今まで一度もそんなことはなく、それには感心しました。

山のぼりする人に悪い人はいないですよ。
自然に親しんで遊んだりする人たちは気持ちが大きくて
立派な人たちなんだなって。

今は山登りが流行していることもあるし、富士山が世界遺産に指定されたということもあり、更に需要が増えるんじゃないかと期待しています。